お気に入りの曲がり道
- 2019/06/23
- 16:53
ニシオギ空想計画
- 2019/06/10
- 01:48
先週末、6月1日2日の西荻は毎年恒例のイベント「茶散歩(チャサンポー)」でした。
参加店舗では軒先にやかんのマークがあしらわれ、お茶の振る舞いがあります。
それぞれのお店が企画や展示を催しているのでちょっとした文化祭気分でまちを散歩するのがたのしい2日間。
五日市街道を渡ったところにある一欅庵では「ニシオギ空想計画Vol.1」展が催されました。
西荻で話題になっている北口道路の拡張計画や、南口の再開発問題を端に発したイベントで、どうせならお役所やディベロッパー任せでなく、住民たちが主体になってまちづくりを考えようという趣旨です。
会場には駅前周辺の立体模型や、数十年後のイメージの地形模型があったり、自由に空想した西荻のまちや、こんなイベントがあったらなという提案がおもいおもいに図案化されていてとっても興味深かったです。
どんな空想でもよいので、ということで私もイラストを展示させてもらいました。
このまちのよさって、東京にいるのにどこか田舎みたいな感じで、人と人の距離が適度に近いところだなあ、駅を降りた南口の飲み屋街「柳小路」あたりも独特だしまるで中世みたいだなあ…なんて思ったので、独立自治「西荻幕府」が立ち上がったという体で、御所的な街並のイメージにしました。
というか、「にしおぎくぼ(西荻窪)」に「にしおぎくぼう(西荻公方)」がいたらおもしろいな、というダジャレ発想なんですけどね。
再開発後にまちの面白さを失ってしまった近隣の例のようにはなってほしくないなあ…。
そして自分も何らかの意識をもってまちに接しないときっと、大きな流れの中に巻き込まれてしまうんだな、と気づきをくれた展示でした。
「ニシオギ空想計画」は形を変えて次回があるそうなので、何かしらで参加できたらよいなあと思います。
参加店舗では軒先にやかんのマークがあしらわれ、お茶の振る舞いがあります。
それぞれのお店が企画や展示を催しているのでちょっとした文化祭気分でまちを散歩するのがたのしい2日間。
五日市街道を渡ったところにある一欅庵では「ニシオギ空想計画Vol.1」展が催されました。
西荻で話題になっている北口道路の拡張計画や、南口の再開発問題を端に発したイベントで、どうせならお役所やディベロッパー任せでなく、住民たちが主体になってまちづくりを考えようという趣旨です。
会場には駅前周辺の立体模型や、数十年後のイメージの地形模型があったり、自由に空想した西荻のまちや、こんなイベントがあったらなという提案がおもいおもいに図案化されていてとっても興味深かったです。
どんな空想でもよいので、ということで私もイラストを展示させてもらいました。
このまちのよさって、東京にいるのにどこか田舎みたいな感じで、人と人の距離が適度に近いところだなあ、駅を降りた南口の飲み屋街「柳小路」あたりも独特だしまるで中世みたいだなあ…なんて思ったので、独立自治「西荻幕府」が立ち上がったという体で、御所的な街並のイメージにしました。
というか、「にしおぎくぼ(西荻窪)」に「にしおぎくぼう(西荻公方)」がいたらおもしろいな、というダジャレ発想なんですけどね。
再開発後にまちの面白さを失ってしまった近隣の例のようにはなってほしくないなあ…。
そして自分も何らかの意識をもってまちに接しないときっと、大きな流れの中に巻き込まれてしまうんだな、と気づきをくれた展示でした。
「ニシオギ空想計画」は形を変えて次回があるそうなので、何かしらで参加できたらよいなあと思います。

凌雲閣(浅草十二階)のこと。
- 2018/02/13
- 00:11
久我山のいい(?)坂の話。
- 2017/06/10
- 08:33

西荻で配布しているフリーペーパー「西荻丼」の中で坂道のコラムを書いています。
名がある坂、ない坂に限らず風情のある風景をさがして、自転車で西荻界隈をうろうろしています。
桜の咲いている頃、久しぶり久我山稲荷神社の辺りまで行ってきました。そのとき神社の脇を下る坂道がすてきで思わず写真を撮ったのです。
坂好きのタモリさん曰く「よい坂の条件とは、1、勾配が急である。2、湾曲している。3、まわりに江戸の風情がある。4、名前にいわれがある」
の通り、ほぼ条件に沿った坂道だけど、この坂道にも名前が付いていたらいいのになあ、などと思っていたのですが、
杉並郷土史業書「杉並の伝説と方言」(森泰樹著)をペラペラとめくっていたところ、
例の坂道には「元坊(もとぼう)坂」という名がついていたことが分かりました。
坂の西側に光明寺というお寺さんがあったことがその由縁で、そのお寺さんが消滅したのには訳があったのでした。
江戸中期。坂上にあったのは九竜山光明寺というお寺でした。
その住職となったお坊さんはたいへんな生臭坊主だそうで檀家の美しい後家さんに手をつけるというスキャンダルを起こしました。
スキャンダル発覚後、久我山村の若衆が激怒。くだんの生臭住職を気絶するまで袋だたきにし、気を失った住職を死んだと勘違いした若衆たちは神田川に投げ込んで帰る、という荒っぽくて、なんとも雑な事件が起こったのです。
しかし、若衆が死んだと思っていた住職は川の水の冷たさで息を吹き返したのです。おそるべき生命力。生臭住職はことの次第を代官所に訴え出ると、たちまち村の若衆は捕らえられてしまいました。取り調べの末、原告の住職にも非があるということで、住職は追放、お寺はとり潰しとなりました。しかし住職を袋だたきにした若衆6人(←え!6人も!?)もまた終身刑を言い渡されて獄中で亡くなったとのことです。
そんな訳で、お寺はとり潰され、「元坊坂」の名がついたとのこと。なんとも後味のわるいエピソードに満ちた坂だったのですね…。
ところが、そのトンデモ昔話には真相があり、実はとなり村の大宮前新田に住む男がその当時、自らの林の立木を担保に光明寺から借金をしたのだそう。
しかし返済期日が過ぎてもお金を返さなかったので、光明寺住職が返済を迫り「担保に入れた立木を切るぞ」と催促にいったところ、住職と、大宮前新田の男が口論になり何故か久我山村の男たちも加わり住職に暴行を加えるという事態に。
男たちは住職が死んだと思い、神社の山に遺棄したのですが、息を吹き返した住職の訴えにより事件が明るみに出た。
というのが事の真相なんだそう。なので、光明寺騒動が「生臭坊主のスキャンダル」というのは嘘で、単に隣村の与太者が起こした借金にまつわるお寺との暴力事件というのが本当のところなんだとか。大宮前新田の男と久我山村の男たちが住職に暴力をはたらいたというのは事実だそうで、そのショッキングさを和らげるために住職にも非があったかのような物語が作られたのでしょう。
あれ、ではどうしてお寺は無くなっちゃったの?というと、騒動とは無関係に、どんど焼きで出た火の粉がお寺に飛び火して全焼したから。なんだそうな。
うむー。古今問わず、伝える人によって事実はおもしろおかしくねじ曲げられるものなのですね。
「印象操作」ということばをしみじみと考えたのでした…。
銭湯と立川の思い出。
- 2015/08/07
- 13:53

暑中お見舞い申し上げます。
気がついたら梅雨時期はとうにすぎて、真夏の盛り、
まもなく立秋にさしかかろうとしています。
(2015年は8月8日が立秋だそうなので、まだぎりぎり暑中お見舞いです。)
気温35度越えの日々は、お昼間は外に出るのも身体に応え、
私ももっぱら外出するのにも夕方からという塩梅の日々です。
ひぐらしの声を背に自転車で川沿いや起伏のある場所を彷徨ってみれば、
灼熱の都内とは言え、多少は涼しげな風を浴びることが出来ます。
知らない町の小さな盆踊りの灯りや、川向こうであがる花火の光もどこかさびしげでよいもので、
その郷愁に誘われて、ペダルをこぐ距離もついつい伸びがちになってしまうものこの季節ならではです。
私が東京で最初に住んだ町は1998年、東京都立川の羽衣町でした。
美術系予備校に通う為に選んだ下宿先は、風呂なしの6畳間で、
1階には大家さんの息子さんが開く柔道場が併設されて、夕方ともなると、稽古の子どもたちの受け身が畳に響く音や、元気なかけ声が響き渡っていました。
アパートから歩いてわずかにあった松見湯さんをはじめとして、羽衣町には憶えているだけでも3軒の銭湯がありました。
やけに銭湯多いな、なんては思っていましたが、今考えてみると、やはり川の流路に沿っていたのですね。
下宿先のお隣には緑川第一公園という、やけに長細い公園があり(当然暗渠化された公園です。)、その名もズバリ「緑川」という川が流れていました。
陸軍立川飛行場(今の昭和記念公園)が出来たときに飛行場内の排水を流すために造られた人工の川で曙町から羽衣町から錦町へ流れ、下流で多摩川に合流していたようです。
ほんの一週間前、久しぶりに多摩川のサイクリングロードを遡って久しぶりに立川は羽衣町まで脚を伸ばしてきました。住んでいた当時は気がつかなかった緑川の暗渠サインにも出会ったりしながら、久しぶりの松見湯さんでお湯にもつかってきました。

※緑川暗渠沿いに残る「尺串橋」の欄干。
嬉しかったのは番台に座っていたおばさんが今もなお現役で座られていたこと。実に15年ぶりの松見湯さんは相変わらず清潔な内装で心地よかったです。
お湯につかりながら、予備校当時の何となく不安な心地と、それに反して東京にきたというわくわく感を思い出したりもし、ついつい長湯になりました。
立川は戦後も米軍の基地が残った関係から、羽衣町を含めて小さな遊郭街が形成されたりと、今の町並みからは想像つかない歴史もあったそうです。
上京したての当時の自分と向かいながら、わずかに香る軍都の名残りを探しに再び立川さんぽに出かけたいな、と思います。
ちなみにイラストは立川の景色ではなく、杉並区阿佐ヶ谷北の玉の湯さん付近を流れる桃園川暗渠です。
銭湯の灯りをたよりの暗渠歩き、涼しげで夏にはぴったりかもしれませんね。(夕方は蚊に注意ですが…。)