野村克也さん
- 2020/02/19
- 23:35

野村克也さんがお亡くなりになりました。
選手としては日本を代表するスーパースターであり、数多くの球団で選手を育てた名監督でした。
ノムさんが所属していた南海ホークスの本拠地は大阪球場。
難波駅の目の前という好立地に存在しました。
私にとっては南海の観戦経験はゼロですし、
もちろんノムさんが現役でバットを振っている姿も観たことがありません。
動いているノムさんは、まんが「あぶさん」(作/水島新司)の中でしか見たことがないのです。
そんな南海戦士の幻影を追って、一度だけ大阪球場に訪れたことがあります。

1998年の春、もうすでに球場としての役割を終えて10年になる大阪球場は、
ベンチやスタンド、バックスクリーンもそのままに、グラウンドの中は住宅展示場になっていて、
なんともいえぬ光景ではあったけれど、
ここでノムさんが、杉浦忠が、門田が、(そしてあぶさんも!)活躍していたんだなあ、と、
ちょっと遅かったけれどグラウンドに立てたことは大きな喜びでした。
(その後、大阪球場は取り壊され、2003年になんばパークスとして生まれ変わりました。)
1990年以降のノムさんは、考える野球でヤクルトスワローズを何度も優勝に導きました。
ヤクルトにとって14年ぶりのリーグ優勝を果たした1992年はいまだに忘れられません。
投手は西村龍次、岡林洋一、ギャオス内藤、荒木大輔に伊東昭光ら。
野手は広沢、笘篠、荒井、池山、一茂、秦、飯田、ハウエルら、
そして捕手古田。杉浦や八重樫らベテラン勢もまだ残っていたっけ。
当時中学1年生の私は、ラジオで野球中継を聴きながら、ヤクルトナインの似顔絵ばかり描いていたものです。
昨年、スワローズ創設50年記念の特別試合が行われた際、
OBチームの監督、ノムさんが突如代打を告げられるという粋な計らいがありました。
もう歩くことも困難なノムさんが、当時の選手たちに支えられてバッターボックスに立ち、バットを一度だけ振りました。
その時の笑顔がとてもすてきで、また支える選手もとても嬉しそうだったことが観ている側も嬉しくて、
ああ、ヤクルトファンでよかったと心から思ったものです。
当時の選手たちはすでに現役を退き、その多くは指導者になっています。
ノムさんの教えが新たな野球人に引き継がれてゆくと良いなあ、と思います。
私も、また球場に野球を観に行かなくちゃ。
ノムさん、お疲れ様でした。
心よりご冥福をお祈り申し上げます。
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