荻外荘公園、開園。
- 2015/04/22
- 01:25

散歩の達人(交通新聞社)の5月号は
「大特集 いわば、中央線文化のホットスポット! 西荻窪 荻窪」
このところいろんな雑誌で紹介されている西荻のまち。
よく行くお店に、まだいったことのないお店も含めてなかなかの情報量です。
お世話になっている西荻案内所や、
私も歴史イラストで参加した「西荻観光手帖」の紹介もされているので、楽しいなと読んでいたのですが、
今回目を奪われたのは西荻ではなく、荻窪の風景。
荻窪紹介の冒頭ページが青々とした芝生の公園の気持ちよさそうな写真が掲載されていて、
あ、荻窪にこんな公園あったっけ?と思ったのですが、
それもそのはず、かつての3度に渡り首相を務めた近衛文麿の別荘「荻外荘(てきがいそう)」が
今年3月から部分的に整備され公園として開放されたとのこと。
芝生の写真はその公園を撮影したものだったのですね。
近衛文麿は別邸として荻窪に住居を求めたのですが、
住みはじめて以降は本邸に戻らず、ずっとこの荻外荘に住んでいたとのこと。
たいへんお気に入りだったのですね。
ちなみに戦後の東京裁判でA級戦犯に指定されたのち、服毒自殺をしたのもこの荻外荘でした。
近衛文麿。名前からも分かるように五摂家のひとつの近衛家で、
流れを遡ればご先祖は藤原不比等や中臣鎌足にたどり着く堂々たるお公家の家系。
お顔も間違いなくお公家顔ですよね。
政治家としての近衛文麿の評価はいろいろなので割愛しますが、
家柄のよさから表舞台に引っ張り出された彼が、日本を大きないくさへの導くきっかけを作ったのは事実。
そんな悩める首相の政治の舞台としても荻外荘はよく使用されたそうです。
日本の歴史の流れの中心がここにあったんですね。
現在、荻外荘は敷地の一部を公園として開放しているのですが、
今後は邸宅跡地も整備してゆく予定もあるとのこと。
これからの新緑のいい季節。
善福寺川にそって、お散歩がてら荻外荘公園まで歩いてみようと思います。
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雨と山吹の物語。
- 2015/04/13
- 22:47

雨がしとしと。
窓を開けると善福寺公園に咲き乱れる山吹の花。
雨に山吹といったら!と、古今亭志ん生の「道灌」を聞きました。
「道灌」こと太田資長(おたたすけなが)は中世・室町時代の武将で、その当時、南関東の覇者だった扇谷(おおぎがやつ)上杉家の家臣です。ときに天才的な軍略家として、江戸城や川越城を築城したお城づくりの名人として、また和歌をたしなむ才人としても名を馳せました。
さて、お話は太田道灌が狩りのさなか、突然のにわか雨に遭い、立ち寄った貧しい農家の軒先での出来事です。 道灌は農家に雨具(蓑)を所望したところ、農家から出てきたのは娘がひとり。恥ずかしそうに一輪の山吹の花を差し出しました。 返答に花一輪とはなんぞやと道灌は怒り、雨の降る中帰路につきました。
その晩、道灌が家臣にこの話を伝えると、その中のひとりが「いにしえの歌集にこんな歌があります。」と教えてくれました。 その歌とは 「七重八重 花は咲けども山吹の 実の一つだになきぞ悲しき」(兼明親王) というもので、「花は咲いても実のならない山吹」にかけて、「実の(蓑)」ひとつない貧しさを山吹の花一輪に表したというものだったのです。
道灌は自身の古歌に対する無知を恥じ、以降、いっそう歌道に励んだということです。
このお話の舞台となった「山吹の里」は各地(埼玉県越生町や東京都豊島区および新宿区)に伝わり、古典落語の演目「道灌」に山吹伝説が活かされています。
ご隠居が話してくれた道灌公のエピソードに感心した八五郎、
「うちに傘をよく借りに来る太いやつがいるから、この古歌で追い返してやるんだ」
憂鬱な雨も吹き飛んでゆきそうなとんちんかんな噺、実にたのしいです。
愛しのTKD24
- 2015/04/01
- 20:03

春になると、山梨県甲府市で行われる「信玄公まつり」の便りが届き、(JR中央線の駅構内に貼られているポスターなどで)ああ、今年も行けない…と悶々とするのが恒例になりつつあります。信玄公の命日(4月12日)が祭りの起源なんだそう。
小学生の頃観たNHK大河ドラマ「武田信玄」で私は歴史への興味の扉が開きました。
私の地元でもある長野県が、若き中井貴一演じる武田晴信(信玄)に蹂躙されてゆく、今考えると信州人にはかなりの過酷なドラマではあったのですが、ふしぎと嫌な気持ちにはならず、甲冑や軍旗がたなびく合戦シーンの迫力にブラウン管の前で胸を熱くした思い出があります。
そんな武田軍には二十四将と呼ばれた家臣団がおり(選抜されたのは江戸時代になってからですが)信玄公の手となり足となり武田軍を支えました。
若き晴信を支えた板垣駿河守や甘利虎泰。
四名臣と謳われた馬場美濃守、山県三郎兵衛、高坂弾忠、内藤修理ら。
兄想いの武田典厩信繁、軍師・山本勘助、知略家・真田幸隆…といずれもキャラ立ちしたスター揃い。
中には徳川方に寝返った穴山梅雪や、武田を滅亡に導いた小山田信茂なんかが入っているのも歴史のうねりを感じます。
信玄公まつりはそんなスターたちが一同に集まる甲州軍団出陣パレード。
今年はまた行けずじまいですが、いつの日か参加してみたい…。
そんな日を夢見てはや覚え二十四将を描いてみました。
子どもの頃は大河「武田信玄」では西田敏行が演じた山本勘助と、若松武史の典厩信繁が大好きだったなあ。橋爪功の真田弾正もいい味出してる…。
桜の池の満開の下で
- 2015/04/01
- 17:04

はじめまして。
イラストレーターのさくらいようへいと申します。
ブログを開設してみました。
まだ慣れないところも多く、ゆっくりとですが、
日々思うことなどつらつらと書いてゆきたいと思います。
私の住む杉並区の西の端っこには都立善福寺公園があります。
神田川水系の善福寺川の最上流で、
善福寺池を中心にのどかな武蔵野の面影を残すすてきな公園です。
桜の咲くこの季節には他の公園と同様にお花見客が集まります。
私も家の外の楽しげな雰囲気につられて急遽お弁当を用意。
歩いて1分の公園へ友人と押し出しました。
平日の午後とは言え公園には様々な世代のお花見客がいて、にぎやかな宴の様相。
私たちも空いていたテーブル席を陣取ってお花見ランチと洒落こんだのでした。
満開の桜は善福寺池に映え、今日はまさにシーズンいちのお花見日和なんじゃないかと心は踊りました。
が、張り切って作ったお弁当はわずかに手をつけた状態で腹が満たされ、
ちょっぴり飲んだアルコールで早々に眠くなる始末。
時折吹き付ける春風に、総菜が入ったタッパーウェアには砂塵の嵐。
お花見ビギナーの私たちはこのあたりで心が折れ、
ランチョンマットをひいてから実質30分ほどで帰宅の準備に取りかかったのでした。
遠足の前日が一番たのしいこどもの気持ちを思い出す瞬間。
ピークをイベントにもってゆくにはまだまだ鍛錬が必要そうです。
でも、外で食べるお弁当はたのしいうれしい。
善福寺公園以外にも様々な場所でお弁当食べたいなあ、と思ったのでした。