高岡の旅。
- 2015/05/24
- 21:41

風薫る季節がやってきました。
5月のはじめ、開通したばかりの北陸新幹線に乗って、
父の実家がある富山県高岡市に行ってきました。
お目当ては高岡市で開催される「高岡御車山祭(たかおかみくるまやままつり)」。
勇壮で華麗な御車(山車)は400年の歴史をもち、そのルーツは豊臣秀吉が後陽成天皇を聚楽第に迎える際に使用したものだといいます。
その後、加賀のお殿様前田利家公が、秀吉公より御車を拝領。
二代藩主前田利長公が隠居地として、この地に高岡城と城下町を築く際に御車を町民に与えられたのが祭りの起源なんだそうです。
前田家は言わずと知れた加賀100万石の大大名ですが、その領地は広大で能登半島やお隣の富山県もまるまる支配地に入っていました。その石高合わせると120万石。大名の中では徳川家に続いて二番目の石高です。
高岡城は利長公の没後、徳川幕府の一国一城令により廃城となり、越中のお城は富山城(富山市)へと集約されました。
が、加賀藩は高岡城の機能を維持しつづけ、江戸時代を通じて米蔵・塩蔵・火薬蔵・番所などが高岡町奉行の管理下に設置されていました。
なくなったと思われていた高岡城は江戸時代を通じて生き続けていたのです。
いつなんどき幕府や外敵に攻められるかもしれないという、意識が外様大名の前田家には常にあったのかもしれません。
お城を失った高岡はその後、商工業の町へと移り変わり発展しました。
高岡銅器や高岡漆器が生まれたのもこの頃からだそうです。
御車山の装飾には前田家を支え続けた名工たちの心意気が備わっているような気がして、今なお前田家と高岡の深い結びつきを感じたのでした。
ところで、「ドラえもん」を生み出した藤子・F・不二雄先生は高岡工芸高等学校出身。
前田家が生み出した名工のDNAが、藤子作品の礎になっているのでしょうね。
藤子F先生の生原稿は、やはりすばらしかった〜。
1泊だけの高岡旅行はちょっぴり短すぎました。次はもっとゆっくりまわりたいなあ。
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