銭湯と立川の思い出。
- 2015/08/07
- 13:53

暑中お見舞い申し上げます。
気がついたら梅雨時期はとうにすぎて、真夏の盛り、
まもなく立秋にさしかかろうとしています。
(2015年は8月8日が立秋だそうなので、まだぎりぎり暑中お見舞いです。)
気温35度越えの日々は、お昼間は外に出るのも身体に応え、
私ももっぱら外出するのにも夕方からという塩梅の日々です。
ひぐらしの声を背に自転車で川沿いや起伏のある場所を彷徨ってみれば、
灼熱の都内とは言え、多少は涼しげな風を浴びることが出来ます。
知らない町の小さな盆踊りの灯りや、川向こうであがる花火の光もどこかさびしげでよいもので、
その郷愁に誘われて、ペダルをこぐ距離もついつい伸びがちになってしまうものこの季節ならではです。
私が東京で最初に住んだ町は1998年、東京都立川の羽衣町でした。
美術系予備校に通う為に選んだ下宿先は、風呂なしの6畳間で、
1階には大家さんの息子さんが開く柔道場が併設されて、夕方ともなると、稽古の子どもたちの受け身が畳に響く音や、元気なかけ声が響き渡っていました。
アパートから歩いてわずかにあった松見湯さんをはじめとして、羽衣町には憶えているだけでも3軒の銭湯がありました。
やけに銭湯多いな、なんては思っていましたが、今考えてみると、やはり川の流路に沿っていたのですね。
下宿先のお隣には緑川第一公園という、やけに長細い公園があり(当然暗渠化された公園です。)、その名もズバリ「緑川」という川が流れていました。
陸軍立川飛行場(今の昭和記念公園)が出来たときに飛行場内の排水を流すために造られた人工の川で曙町から羽衣町から錦町へ流れ、下流で多摩川に合流していたようです。
ほんの一週間前、久しぶりに多摩川のサイクリングロードを遡って久しぶりに立川は羽衣町まで脚を伸ばしてきました。住んでいた当時は気がつかなかった緑川の暗渠サインにも出会ったりしながら、久しぶりの松見湯さんでお湯にもつかってきました。

※緑川暗渠沿いに残る「尺串橋」の欄干。
嬉しかったのは番台に座っていたおばさんが今もなお現役で座られていたこと。実に15年ぶりの松見湯さんは相変わらず清潔な内装で心地よかったです。
お湯につかりながら、予備校当時の何となく不安な心地と、それに反して東京にきたというわくわく感を思い出したりもし、ついつい長湯になりました。
立川は戦後も米軍の基地が残った関係から、羽衣町を含めて小さな遊郭街が形成されたりと、今の町並みからは想像つかない歴史もあったそうです。
上京したての当時の自分と向かいながら、わずかに香る軍都の名残りを探しに再び立川さんぽに出かけたいな、と思います。
ちなみにイラストは立川の景色ではなく、杉並区阿佐ヶ谷北の玉の湯さん付近を流れる桃園川暗渠です。
銭湯の灯りをたよりの暗渠歩き、涼しげで夏にはぴったりかもしれませんね。(夕方は蚊に注意ですが…。)
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