たのしみ!真田丸〜いっぽうその頃小諸では…〜
- 2016/01/19
- 00:33
大河ドラマ「真田丸」第2回にして、わくわくがとまりません。
みなさんも同じ気持ちですよね。ね!
平岳大さんが好演の武田勝頼公は自刃してしまいました。
今まで描かれることのなかった勝頼公の憂いがたった2話ですが凝縮されていて評判を呼んでいましたね。
真田源二郎信繁と兄の源三郎信幸が上州岩櫃城へ決死の脱出を向かうその頃…。
私のふるさと信州小諸では何が起こっていた!?かというと…。
武田存亡に連座して小諸城でも見過ごすことの出来ない事件が起こっていたのです。
それは勝頼公のいとこにあたる武田信豊(たけだのぶとよ)の自害です。
そもそも小諸城は室町期からあったお城で、武田氏が信濃進出の際に、山本勘助らによって築き直された(と伝えられる)要衝の地。信豊はその小諸城を治めていたといいます。(異説もあり。)

信豊の父・武田信繁(たけだのぶしげ)は武田晴信(信玄)の弟で、名高い第4次川中島合戦で壮絶な討死をとげたました。

兄思いの武田信繁は名将の誉れ高く「典厩(てんきゅう)信繁こそは真の副将なり」とい言われたほど。真田信繁の「信繁」も彼の名をあやかってつけられたというのが有力だそうです。(※「典厩」とは信繁の官職名で「左馬助」の中国読み。)
そんな父の跡をついで武田信豊は武田家の親族衆に列しました。数々のいくさに参加し、信玄が亡くなったあとも勝頼の補佐役として他国との同盟の取り次ぎなども務めました。
しかし長篠のいくさを契機にじょじょに劣勢になってゆく武田家。
大河ドラマの1話にあったように、一族衆の木曽義昌の反旗を受けて出陣した武田勢は木曽勢に敗退。信州諏訪上原城を経て甲州新府城へ帰還しました。(一門が侃々諤々と議論しているシーンには武田信豊の姿もあったはずです。)
ドラマの通り、勝頼公は小山田信茂をたより甲州の郡内岩殿城へ向かいますが頼みの小山田にも裏切られ天目山にて自害。
一方武田信豊はどうなったかというと…。わずかな家臣とともに信州小諸城へ向かいました。
小諸城には武田家の家臣・下曾根浄喜(しもそねじょうき)という武将が城代を務めており彼らと合流して、小諸城で再起を図る手はずでした。
しかし、下曾根浄喜もまた小山田信茂と同様に織田方に内通し信豊を攻めました。武田信豊は小諸城二の丸にて自害。34歳の生涯でした。
小諸城はその後、織田方の手に落ち、信州の小県と佐久&上州一国を手にした滝川一益の領土になりましたが、その三ヶ月後には本能寺の変が勃発。
ここから小諸を含んだ小県・佐久地域は織田、徳川、北条らの大国の間でドラマチックな領土争いに発展するのですが、それはこれからの「真田丸」でくわしく描かれそうなので、固唾をのんで
大河ドラマを見守るとしましょう。
ちなみに武田を裏切った穴山梅雪(信君)も小山田信茂も武田24将に選出されています。
ふたりとも最後の裏切りまでは武田家を支えた家臣団のひとりだったのです。

小諸城で非業の死をとげた武田信豊のお父さん、武田信繁ももちろん入ってます。
真田家からは安房守昌幸のお父さんにあたる、幸隆(ゆきたか)と長篠の戦いで討死した信綱(のぶつな)が選ばれておりますね。
詳しくは以前に描いたこちらを参照〜。
みなさんも同じ気持ちですよね。ね!
平岳大さんが好演の武田勝頼公は自刃してしまいました。
今まで描かれることのなかった勝頼公の憂いがたった2話ですが凝縮されていて評判を呼んでいましたね。
真田源二郎信繁と兄の源三郎信幸が上州岩櫃城へ決死の脱出を向かうその頃…。
私のふるさと信州小諸では何が起こっていた!?かというと…。
武田存亡に連座して小諸城でも見過ごすことの出来ない事件が起こっていたのです。
それは勝頼公のいとこにあたる武田信豊(たけだのぶとよ)の自害です。
そもそも小諸城は室町期からあったお城で、武田氏が信濃進出の際に、山本勘助らによって築き直された(と伝えられる)要衝の地。信豊はその小諸城を治めていたといいます。(異説もあり。)

信豊の父・武田信繁(たけだのぶしげ)は武田晴信(信玄)の弟で、名高い第4次川中島合戦で壮絶な討死をとげたました。

兄思いの武田信繁は名将の誉れ高く「典厩(てんきゅう)信繁こそは真の副将なり」とい言われたほど。真田信繁の「信繁」も彼の名をあやかってつけられたというのが有力だそうです。(※「典厩」とは信繁の官職名で「左馬助」の中国読み。)
そんな父の跡をついで武田信豊は武田家の親族衆に列しました。数々のいくさに参加し、信玄が亡くなったあとも勝頼の補佐役として他国との同盟の取り次ぎなども務めました。
しかし長篠のいくさを契機にじょじょに劣勢になってゆく武田家。
大河ドラマの1話にあったように、一族衆の木曽義昌の反旗を受けて出陣した武田勢は木曽勢に敗退。信州諏訪上原城を経て甲州新府城へ帰還しました。(一門が侃々諤々と議論しているシーンには武田信豊の姿もあったはずです。)
ドラマの通り、勝頼公は小山田信茂をたより甲州の郡内岩殿城へ向かいますが頼みの小山田にも裏切られ天目山にて自害。
一方武田信豊はどうなったかというと…。わずかな家臣とともに信州小諸城へ向かいました。
小諸城には武田家の家臣・下曾根浄喜(しもそねじょうき)という武将が城代を務めており彼らと合流して、小諸城で再起を図る手はずでした。
しかし、下曾根浄喜もまた小山田信茂と同様に織田方に内通し信豊を攻めました。武田信豊は小諸城二の丸にて自害。34歳の生涯でした。
小諸城はその後、織田方の手に落ち、信州の小県と佐久&上州一国を手にした滝川一益の領土になりましたが、その三ヶ月後には本能寺の変が勃発。
ここから小諸を含んだ小県・佐久地域は織田、徳川、北条らの大国の間でドラマチックな領土争いに発展するのですが、それはこれからの「真田丸」でくわしく描かれそうなので、固唾をのんで
大河ドラマを見守るとしましょう。
ちなみに武田を裏切った穴山梅雪(信君)も小山田信茂も武田24将に選出されています。
ふたりとも最後の裏切りまでは武田家を支えた家臣団のひとりだったのです。

小諸城で非業の死をとげた武田信豊のお父さん、武田信繁ももちろん入ってます。
真田家からは安房守昌幸のお父さんにあたる、幸隆(ゆきたか)と長篠の戦いで討死した信綱(のぶつな)が選ばれておりますね。
詳しくは以前に描いたこちらを参照〜。
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ニッポン武将名鑑〜真田幸村(信繁)〜
- 2016/01/11
- 00:40

ブログでの報告が遅れましたが、
昨年の10月から毎日小学生新聞でイラスト連載がはじまりました。
その名も「ニッポン武将名鑑」。
毎回、ひとりずつ武将をとりあげながら、私なりにコラム風のよみものに仕立ててゆきます。
隔週(月に一度だったり二度だったり)ののんびり連載ですが、ぜひよろしくお願いいたします。
第1回は真田幸村(信繁)です。
言わずと知れた戦国随一の大ヒーローですが、
私にとっても地元である信州、とりわけ上田市や小諸市を含む小県(ちいさがた)郡の英雄でもあります。
とくに実家のある「滋野(しげの)」地域は真田家のルーツと言われる一帯でもあり、滋野氏からは海野(うんの)、禰津(ねづ)、望月らの一族が誕生しました。これらを滋野三家と呼ぶようです。
真田家はその滋野氏の末裔、海野氏から派生した一族だと言われています。
今も滋野三家の地名はそのまま残っていますし、なにより「真田十勇士」に登場する海野六郎、根津甚八、望月六郎らのキャラクターに名を残していることが大きいと思います。
そんな地域のヒーローが今年は大河ドラマ「真田丸」で帰ってきました。
とりわけ武田氏が滅びたのちの、信州争奪戦の様子が詳しく描かれそうなところが楽しみです。
大河ドラマファンとしてはやっぱり真田家は幸村以前や以後もとっても面白い。
一族の存亡を賭け、一度は落ち延びた小県郡に、甲斐武田家の力を借りて返り咲いた真田幸隆公。
長篠のいくさに武田家の侍大将として壮絶な死をとげた真田信綱、真田昌輝兄弟。
そして機略の人、真田昌幸。
幕末迄つづいた信州松代藩の祖、真田信之。
そんな風に一族のルーツやその後、真田家周辺にいた武将たちのことも気にかけながら今年はドラマを見てゆこうと思います。
話は「ニッポン武将名鑑」に戻りますが、二回目以降は平安時代に遡って、平将門、源義朝、平清盛、源義仲と時代順に有名武将を追いかけています。
武将を描きながら、その時代の空気がちょっとでも再現できたらいいなあなんて思ってます。
もう新年。
- 2016/01/06
- 03:20

年が明けてもう6日も経ってしまいましたが、
改めてあけましておめでとうございます。
年越しから年明けにかけてわりとするすると過ぎていきました。
帰省も紅白歌合戦も初詣も、駅伝中継もスルーしちゃった。
ぼんやりしてお正月気分に浸る間もなかったのですが、
ポストに年賀状が届いていると、さすがに嬉しい気持ちになるものです。
東京は年明けから暖かで、春を先取りしたかのような陽気なのですが、
お正月の頃のきりりと張りつめた寒さ、私は嫌いじゃないのです。
ほんの少しだけ陽が長くなってゆく感じや、梅のつぼみが膨らんでくる様子も
冬が終わってしまう感じがして、
実はちょっとさびしかったりします。
しかし季節は先へ進みます。
私も少しずつですが、一歩一歩と先へ進んでいきたいな。
昨年に引き続き、チャレンジの年になりそうです。
そんな訳で今年もどうぞよろしくお願いいたします。