大河ドラマ「真田丸」第5話「窮地」 〜半蔵のこと〜
- 2016/02/07
- 23:59

真田丸 第5回「窮地」
ハットリ君こと服部半蔵が大登場でしたね。
服部半蔵正成(はっとりはんぞうまさなり)は伊賀忍者で、
江戸城門に彼のお屋敷が近かったことから「半蔵門」の名がついたことでもお馴染みのメジャー徳川家臣です。
半蔵の父の代より徳川家に侍として仕えていたので、れっきとした三河岡崎生まれの三河武士。
伊賀越えの際は伊賀衆、甲賀衆を抱き込み家康を警護して安全に三河に送り届ける大役を果たしました。
そんな半蔵、家康が関東に入府するとなんと東京の荻窪(下荻窪村)、西荻一帯(上荻窪村)に領地をえたのです。
荻窪駅の南口からほど近い一帯が「忍ヶ谷戸(しのびがやど)」という地名がついたのはそのためで、かなり最近までその地名が残っていました。
近くを流れる善福寺川には今も「忍川橋(おしかわばし)」(荻窪4丁目)と名を変えて名残りをとどめています。
正成の死後、跡を継いだ服部就成(まさなり)は先祖代々の半蔵を襲名しますが、
凡庸な上に伊賀衆を粗略に扱ったことで、配下から訴えられ失脚。領地を失いました。
西荻の上荻窪村の一帯は配下の伊賀同心ら8名がそのまま幕末まで知行を続けました。
身分の低かった同心たちは騎馬が認められなかったので「徒衆(かちしゅう)=歩兵」と呼ばれました。
現在西荻北の善福寺川にかかる「鍛冶橋(かじばし)」は「かち橋」が訛ったものだとの説もあるようです。
父上(真田昌幸)がドラマの中で「力がないことはかように惨めなことだ」とこぼしていたけど、
勝利した徳川方にもヒエラルキーがしっかり存在していて末端の武士たちはきっと苦しかったに違いない。
荻窪にかかる「忍川橋」にはひとりの忍者の栄枯盛衰を。
西荻の「鍛冶橋」には身分の低い伊賀衆たちの悲哀を。
大河ドラマの本筋とは脱線したけど、そんなことを噛み締めた瞬間でした。
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