秩父平氏っていったい何?
- 2021/01/11
- 23:01
ふだん、訪れている城址はほとんど東京近郊なので、その地域を治めている在地の領主はいわゆる秩父平氏を祖とした武家が多い。例えば豊島氏や葛西氏、江戸氏に河越氏、千葉氏、そして三浦氏。彼らはみんなご先祖が一緒なのです。
で、秩父平氏っていったいなんなの?ということなんだけど、
桓武天皇の子孫で平高望(たいらのたかもち)の五男、村岡五郎を名乗った平良文(たいらのよしふみ)が関東に拠点を置き、その良文の孫にあたる平将常(たいらのまさつね)が武蔵や上総、下総にて領地を得て秩父氏を称した。
つまり、豊島氏も葛西氏も江戸氏も千葉氏も、秩父氏から枝分かれした平氏の一族にあたるというわけ。
伊豆蛭ヶ小島で挙兵した源頼朝に対して、討伐にあたったのも味方についたもの、そして最初は敵だったが転じて味方についてもの、そして鎌倉政権が誕生すると一族の中で敵味方に別れあるものは栄え、あるものは滅んでゆく…。
きっと同じ一族の中でも葛藤があったことでしょう。
簡単な家系図を起こしてみると、ここでこの一族が誕生したんだ、なるほどよく聞くこの武将はこの系統なのか、とよくわかる気がします。
来年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の予習にもなる気がする!
(↓下の画像をクリックするとほんの少し拡大してみることができます。)

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桓武天皇の子孫で平高望(たいらのたかもち)の五男、村岡五郎を名乗った平良文(たいらのよしふみ)が関東に拠点を置き、その良文の孫にあたる平将常(たいらのまさつね)が武蔵や上総、下総にて領地を得て秩父氏を称した。
つまり、豊島氏も葛西氏も江戸氏も千葉氏も、秩父氏から枝分かれした平氏の一族にあたるというわけ。
伊豆蛭ヶ小島で挙兵した源頼朝に対して、討伐にあたったのも味方についたもの、そして最初は敵だったが転じて味方についてもの、そして鎌倉政権が誕生すると一族の中で敵味方に別れあるものは栄え、あるものは滅んでゆく…。
きっと同じ一族の中でも葛藤があったことでしょう。
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謹賀新年2021
- 2021/01/01
- 23:45