上杉禅秀ってどなた?
- 2019/01/20
- 02:10

戎光祥ヒストリカルセミナー vol.5「鎌倉府と東国の動乱」に参加してきました。
3人の若手研究者さんによる室町期の「鎌倉府」についてのおはなし。
そうです。鎌倉幕府じゃなくて、鎌倉府なんですよ。
その構成は、
犬懸上杉氏と鎌倉府 上杉禅秀の乱とはなにか(駒見敬祐先生)
永享の乱を考える(植田真平先生)
結城合戦と東国社会(石橋一展先生)
の3本立て。
室町幕府が起こって、政権が京都に移ったあとも鎌倉は政治都市としての機能を失っていませんでした。
それが鎌倉府です。
鎌倉府の支配区域はおもに関東諸国。
足利将軍家の親族が鎌倉へ派遣され、鎌倉公方を名乗り、その執事として上杉家が選ばれました。
執事の名はそののち「関東官領」とよばれることになります。
鎌倉公方はときに中央政府に反旗を翻し、
その執事だった上杉家もまた鎌倉公方に対してクーデターを起こしました。
そのさきがけが上杉禅秀であり、彼が謀反を企てた相手はまさに鎌倉公方(足利持氏)でした。
禅秀の起こした反乱は、その後に続く関東の動乱の火種になってゆきます。
先生たちはこの時代の関東の歴史を掘り起こし丹念に研究されておられるお方たち。
小田原や江戸を中心とした時代になる以前に鎌倉をめぐって豪族たちが思いをめぐらせ、争った時期があったのですよね。
今日は駒見敬祐先生の講義のおともとして、レジュメ内&会場にイラストを展示させていただきました。
上杉禅秀については肖像画らしいものが残っておらず、イメージで描いたけど野心家っぽい感じで描けたかしら。
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